美しき機能停止
残酷なハックについて。
ツェナーダイオード
小学生のころ、電子回路や電子部品についての本をよく読んでいた。 (その後私の興味はデジタル回路へと移っていきプログラミングをするに至るのだがそれはさておこう。) 当時最も強く印象に残っていた部品はツェナーダイオードだった。
ダイオードは半導体のなかでも最も素朴な機能をもつ素子のひとつで、電流を基本的に一方向にしか流さないという性質をもつ。 つまり電子回路に一方通行の部分を作れるということで、これは便利なのでさまざまな場面で利用される。
しかし本来電流がほとんど流れない想定の「逆方向」に、無理矢理に大きな電圧をかけるとどうなるか。 実はある程度の電圧を超えると降伏と呼ばれる現象が起き、「逆方向」にも大電流が流れるようになるのである。 この降伏が始まる電圧 (降伏電圧) は設計によって制御できるため、これを調整して作れば「特定の電圧を超えた場合にのみ電流を通す」というベーシックなダイオードとはおよそ正反対の利用方法が開拓できる。 このような「電流を “逆方向に” 流す」ために作られたダイオードのひとつが、ツェナーダイオードだ。
一方向にしか電流を流さないはずのダイオードとして生まれながら、逆方向に電流を通してしまう “異常” をあてにして逆方向に繋がれてしまうツェナーダイオードを、子供心に異端で可哀想な存在だと思ったのを覚えている。
炭鉱のカナリア
ツェナーダイオードに向けられる期待は、炭鉱のカナリアを彷彿とさせる。
たまに勘違いしている人を見るが、炭鉱のカナリアは危険に際して鳴くことで人に注意を促すのではない。 むしろその反対で、常に鳴いているカナリアを炭鉱に連れて行くと、有毒ガスでダメージを受けた際に鳴き止むことで人が危険に気付けるという仕組みである。 言ってみれば身代わりのようなものだ。
愛玩動物でありながら待ち受ける死が有難がられるとは、なんとも業の深いことである。
贅沢な感傷
こうして並べてみると、炭鉱のカナリアというのは実にツェナーダイオードに似ているではないか。
- そのさえずりを鑑賞できることに価値が認められていたカナリアが、特定の状況でさえずらなくなってしまうことに価値を見出されたのが炭鉱のカナリアである。
- 電流を逆方向に通さないことに価値が認められていたダイオードが、特定の状況で逆方向に電流を通してしまうことに価値を見出されたのがツェナーダイオードである。
これらの「本来の機能を損うことに価値を見出された存在」に感じられる得も言われぬ物悲しさ、あるいは残酷な機能美には、素朴な破滅の美しさとは一風違った味わいがある。
振り返ってみると、幼少期にこういった感傷に浸れたことは贅沢な体験だった。 そして今でも、まだ見ぬ存在がいつかこの可哀想なリストに追加される日が来るのを密かに楽しみにしている。